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編集者、校正の修正をどこまで許容するのか?

脱稿したあと、しばらくすると、初校ゲラが送られてきます。
それを見たとき「思っていた通りだな」と感じることが大半ですが、稀に編集者の考えなどで「思っていた本とは、まったく違う……」となることもあります。
こうならないように原稿の時点で、編集者とやり取りをすべきなのですが、進行上、確認できないこともありますし、編集者によっては原稿を修正するのが当たり前と考えている人もいます。
「なんだかな……」と思いますが、初校の時点では、まだ修正が間に合います。
だから、明らかな間違いなどのように大きな修正があれば、修正しますが、問題は「これは間違いじゃないけど……」「これも『あり』だとは思うけど……」と感じるような場合です。
「修正すれば、また編集者が修正してくる」もしくは「修正したのに、修正に応じてくれない」などの無意味な戦いになる可能性もあります。
どうすべきでしょうか。

その答えはわかりません。
何が売れるのか、市場に出すまでわからない世界ですし、そもそも出資するのは出版社ですし、わたしは、心のなかに、わだかまりを残したまま、編集者の思うとおりにやってもらうようにしています。
こういうのが、わずらわしいと思えば自費出版すればいいですし。

それに、自分とはちがう考えが入って、むしろ、よりよいものになるのでは、と期待しているという側面もあります。
かならずしも、よりよいものになるとは限らないのが、辛いところですが……。

ただ、どうしようもないほど改悪されれば、もとに戻すように、かなりクレームを出しますが(ここまでの事態になることは、まずありません)。

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初校ゲラで文体が違うのはよくあること

編集者、校正の手が入ると、文体はよく変えられます。
たとえば――。

1.彼は野球することができる。
2.彼は野球できる。

わたしは1が好きなのですが(パッと見ただけで意味がわかるので)、2に変えられることもあります。
これは「好み」の問題だと思いますし、厳密にいえば「書き手の癖」は、「書き手の味」につながるので、本来は変えてはいけないとは思いますが、枝葉の部分なので、わたしは好きにさせています。

それ以外にも、編集者は言葉のプロフェッショナルなので、正しい言葉遣いに基づいた修正をすると思いきや、たとえば、わたしが「します」としていても、「するんです」とするように、わざわざ間違えた修正をする編集者もいます。
※たぶん、「ん」は話し言葉なのでNGのはずです。

初校ゲラなどで、わたしが修正しなおせばいいのですが、枝葉の部分なので、ここも、そのままにしていることも多々あります。
修正合戦になるのも非効率ですし。

本はチームで制作していることを肝に銘じよう!

本はチームで制作するので、絶対に「自分のものではないもの」が混入します。
ほとんどの場合、編集者、校正の修正は「吉」とでますが、運が悪ければ「凶」もありえます。それが自費出版との違いでしょうか。
商業出版はそんなものと割り切ることも大切だと思います。
編集者が間違えた修正したのに、「著者は日本語を知らない」とブログなどで書かれると、ちょっと微妙な気持ちになりますが。

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